第10回 第二子誕生 ~妊娠編~
お久しぶりです。
育児考察ブログのけいです。
もう去年の話にはなるのですが、けいに第二子、男の子が誕生しました。
久しぶりのブログですが、備忘録として、
第二子誕生を振り返って見たいと思います。
(もう7ヶ月以上たったので、当時の鮮明な記憶はありませんが。。)
今日は、午前中の約2時間半自由時間を妻にもらったので、ブログ書いてます。
第二子誕生のブログ、前編後編に分けて書きます。
今日は、前編。
出産の話の前に、少し話を戻して、第二子の妊娠の時のことから書きたいと思います。
0.第一子の不妊治療
長女(第一子)出産後、妻の職場復帰のこともあり、
やっぱ1年くらい働いてからがいいよね、2歳くらいは離したいよね
なんて話してました。
が、、、である。
なんと第一子出産後の2,3戦目で、安易にプロテクターなしにいどんだら、、
できた!!!!
これは大変な驚きである。
驚く理由を説明しよう。
なにを隠そう、実は、一人目のときは、一年近くできず、不妊治療の末、妊娠していたのである。
一年近く、妻が基礎体温測って、タイミング療法により戦いをしていたが、なかなかに空振り。。
ワン・ツーがヒットしない。
ワン(卵)が出でているのか、ツー(おたまじゃくし)が出ているのかすら、分からない。
妻のワンの周期は非常に一定しているので、僕のツーが良くないのかな、、とはなんとなく思っていたので、
妻と同時に僕も産婦人科で本格治療(検査)を始めた。
僕はまず、おたまじゃくしの検査をした。
まっすぐ進むやつ・ひねくれ者・奇形の割合や、活発なやつの数、などなど調べた結果、
そんなには良くないが、まあ問題となるレベルでもなさそうとのこと。
総運動おたまじゃくし数も基準値の2000万以上のギリギリのところだったかな。
とりあえず、おたまじゃくしが元気になるという漢方を飲むことに。
ちなみに、おたまじゃくしが2億くらいいるのに、なかなか自然妊娠しない友人もいた。。
その友人に似て、友人のおたまじゃくしにはひねくれ者が多かったのだろうか。。
さて、話を戻す。
妻の方はと言うと、多嚢胞性卵巣の疑いもあったりしたが、まずは、タイミング療法を改めて行うことに。
ただ、お互いの年齢は30過ぎ。
タイムイズマネーである。
1、2ヶ月立って、拉致があかない気がした。
正直、、タイミング療法だけを続けるのは、精神的、肉体的にもいきつい。
どんな方法であれ、妊娠することがまずの目的なので、不妊治療はどんどんステップアップしていく予定でいた。
体外受精まで半年でいってやろうという意気込み。
コウノトリは、そう簡単に赤ちゃんを運ばない、と認識を新たにしていた。
なので、すぐさま次のステップへ。
僕がおたまじゃくしが元気になる漢方を飲んで、妻が卵が降りてくる薬を飲んで、タイミングをあわせて3,4日連続で立て続けに戦いを挑み、神に祈った末、第一子ができたのである。
余談ですが、実は妊娠発覚の直後、すぐに沖縄(八重山諸島)旅行を控えていて、キャンセルするか悩みましたが、
産院の先生にも相談の上、お腹の子にも安全に配慮して行ってきました。
旅行にいって普通に生活することが原因で流れることはあまりない、ただ無理はせず、との見解でした。
1.予期せず?!第二子の妊娠!
第一子の時には、そこそこ苦労してできた。
なので、我々は、プロテクターなしにスパーリングをしても安全
という結論に至っていた。
第一子出産後、妻のワン(卵)の周期が安定していそうだったので、
ツーのタイミングを外して初めてプロテクターなしにスパーリングをしてみた。
すると、タイミングを外しているつもりだったのだが、ドンピシャ、クリティカルヒット!
コウノトリが来てくれたのである。
2.長女の断乳
せっかくできた第二子、なんとしても生まれてほしいので、
当時まだ10ヶ月だった長女の急遽断乳スケジュールを早めて、
夜間断乳に挑戦。
まあかなり大変だったけど、4日位でなんとか断乳できた。
3.妻の復帰調整
長女が1歳になって保育園に通い始めた。
慣らし保育完了後、妻も職場復帰するのだが、、
復帰後、まだ安定期ではなかったが、
すみません、あと4ヶ月でまた産休入らせてください、、
と職場と調整。
調整はできたものの、、
妻の職場が忙しく、産休に入る直前だったが、夏休みもお盆休みも休み返上して仕事。
だが、この忙しさが裏目にでたのか、、、、
大変な事態になってしまう。。
つづきは、後編へ。
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